立山中高年大量遭難事故とは、1989年10月8日午前中から夜間にかけて立山一帯が悪天候に見舞われ、立山三山を縦走中のパーティ10名が遭難しうち8名が低体温症で死亡した事故。

1989年10月8日にパーティ10名が出発したが、その時にはもう天気が荒れ始めていた。立山駅からケーブルカーであがり、美女平から室堂を経て一ノ越山荘到着時には、10月上旬だというのに吹雪になっていた。そこで休憩した後に猛吹雪のなかで出発するも、既にグループが2つに分裂する状況で、雄山到着時に既に疲労困憊のメンバーがでていた。午後13時30分頃に雄山を出発したが、宿泊予定地まで半分もいかないところで、自力歩行できないメンバーが現れた。午後17時頃に体力ある2人で最寄の内蔵助山荘に向かうが、道を間違えたことで、20時30分頃に別山の山頂に到着してビバークとなった。
翌日10月9日3時30分頃に2人は出発し剣御前小舎に向かうが、途中で力尽き倒れた後にご来光を撮影するために別山に向かった剣御前小舎の宿泊客が発見して救助、6:30分頃に山小屋に収容された。内蔵助小屋の管理人が倒れている8人を発見して救助されたが、既に6人が死亡しており、ヘリで病院に搬送された残る2人も死亡しました。